「努力」も才能と考えることにしよう

「努力」と言う言葉は好きですか?

今までで「努力」と言う言葉を聞いたことがない人はいないと思います。
故に誰でも出来ると思われがちですが、最近はそれも才能の1つではないかと思うようになりました。無能呼ばわりされていた人が時間をかけて通常の能力を超える結果を出して行くと、その人は「努力の天才」と呼ばれるようになります。十分に整った環境から努力する気もなくしようとしても長続きすることなくズルズルと低所得つまり貧困に陥る人もいます。その差は何なのか?それは、「努力」をし続ける才能があるかないかの違いです。そもそも努力を出来る環境でなかった場合もやはり貧困に陥りやすく「努力」が報われなかった人もいるので、これが絶対だとは思えませんが。
しかし、俗にいう高所得な人は大抵どこかで努力をして成功しています。


ただ、努力を成功に結び付けられる人は努力をするタイミングを見る力があったんです。そのタイミングはどんな人にも訪れています。今までの人生で「あの時〇〇すれば!」と後悔する人はたくさんいます。絶妙なタイミングで努力をしている人は大抵、成功している話が多いので努力も才能の1つではと考えるようになりました。どんなに努力してもダメって人もいるので「努力」は誰でも出来るは幻想で、「努力」自体が一種の能力として発揮できない人がいるので社会福祉的には「努力」が出来ない人を支えて何とかなるレベルに押し上げてあげる事が必要ですが、社会的なコストが高くなる割にリターンがほぼ皆無なので自助でと言う事になっています。

 

ですが、「努力」も才能と考えることにしようと言う人が増えればもう少し助かる人が
増えるのではないかと思います・・・今の社会は一定レベル以下の人の人権が軽くなってしまうので国が環境に頼らずとも努力する才能を持たない人に少しでも努力出来る環境を整えてあげれば救われる人もいるのではないかと、無能として叩き出すのではなく。